雑感の最近のブログ記事

残念な結果に終わってしまいました。


盛り上がっているから負けたとは思いませんが、代表の本当の意味での正確な情報が入ってきていない中で、メディアであれだけいい雰囲気を演出してしまえば、観ている側の落胆は計り知れないでしょう。


前回大会の低い期待値が懐かしいです。


これから無駄は批判も出てくるかもしれません。


ただ、現場では、それほど、な感じだと思います。


残り試合を勝点4以上獲得できれば、、、と、それくらいの計算はしているでしょうし、3連勝すると思っていた代表スタッフはいないと思います。


ワールドカップ優勝を目指す国は、初戦の敗退なんてたいして気にしてないでしょうし、そこからどうやってチームを持ち直すかが大切で、また、1位抜け2位抜けの有利不利はあっても、優勝するなら結局はどこかの強豪と当たらなくてはいけないわけです。


結局、この敗戦で落胆しているのは、私たちだけ...そういうメディアの戦略的なやり方が、どうしても受け入れられないんです。


キックオフ前の松本の鎌田の交差点付近、明らかに車の台数が少なかったです。


日曜日であっても、ある程度込み合う交差点で、あの現象にはさすがにサッカー日本代表のパワーを感じましたが、やはり、そんなに簡単ではありませんでした。


戦術云々、試合の内容については、専門的な人がいっぱい話をするし、日本国民全員が監督だと思うので、いろいろつぶやいて、それぞれで原因を分析して楽しめればいいと思いますが、私は、もっと根本的なことだと思いました。


次の試合で勝てると言うのではなく、4年後、8年後を見据えて、やはり育成の現場がポイントだと思います。


日本の育成は、「個の力」に取り組みだして久しいですが、まだあのような舞台で違いを出せる選手は出てきてないことが、残念ではありますが、しかし、はっきりしました。

でも、私が「個の育成」ができているかと言うと、全然で申し訳ないんですが、、。


本田とドログバを比較することに意味はありませんが、ことワールドカップでは、その存在感の違いは、交代選手としてピッチに立った瞬間の会場の雰囲気が、テレビを通しても伝わってきました。


私は、ワールドカップのような代表の試合で、しかも短期決戦では、組織力ではないと思っています。


ワールドカップのような代表の試合で組織力的な感じで勝てるのは、バルサ主体のスペイン、ユベントス主体のイタリア、そしてサッカーが染みついているブラジルくらいでしょう。


ドイツも国の事業として育成を充実させ、ここ数年、その選手たちが躍動し、そういった意味での組織力はありますが、ただ、伝統的にフィジカルの強い国なので、最終的にはそこで勝負を決めてしまう強さがあります。



組織ではなく、「個の力」。



以前は、この言葉は好きではありませんでした。


しかし、世界のサッカーの流れというか、組織的なプレーのトレンドがヨーロッパのクラブシーンに移っている以上、ワールドカップで見出されるのは、組織力より、個々の戦いでしょう。


組織で戦うことのリスクは、個々の力がなくては、組織にほころびがあった時に修正が出来ないことだと思います。

ここ数年でそれを学びました。


たった一人のリーダーシップ、たった一人の存在感が、全てを変えることがあることを、私たちはもっと知る必要があるかもしれません。


全員集合、右へならえ、などをいつまでもやっていてはいけない、と感じてしまいます。


もちろん、それが必要な場面は多々あることを知っていますが、本気で何かを成し遂げるには、それは逆に足かせになるんじゃないかと、1-2の逆転負けに、そんなことを思ってしまいました。


まぁブラジルにいる選手やスタッフは、次のギリシャ戦に切替えているでしょう。



VIVA 日本!

握手

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日本のサッカー界でも結構当たり前になってきた「握手をする」という文化。


この文化に少し切り込みたいと思います。


欧米では、スキンシップやコミュニケーションということで当たり前に行われている、「敵ではない」、「仲間である」、「平等だよ」等を意味する握手ですが、『お辞儀の国』である日本では、サッカー以外でもやっとここ最近広まり始めている文化です。


握手とは、そもそも、「武器は持っていないよ」という意味で、利き手を差し出すことから始まったようです。


欧米の交通ルールも面白くて、車の走行車線なんですが、どうして欧米の多くは右側通行で、日本は左側通行なんだろうと思っていたら、どうやら、これも馬車のすれ違いの問題があったようです。

右手で鞭を振ると、対向車(対向馬?)に当たってしまうから、右側にしたというのもあれば、面白いのが、イギリスも日本と同じ左側通行なんですが、これは、馬に乗って戦をしていた時代・・・今も騎馬隊があります・・・には、左に鞘があるので、左側通行にしたという話があり、それに対抗して、フランス革命のときのナポレオンが、左利きだったため、右鞘だったら右側通行だろう、という強引な個人の都合で、欧州大陸の多くが右側通行になった、とか、、。


握手からそれましたが、こういう文化とか伝統というのは、その時代時代によって結構いい加減な理由で変わってしまいます。


しかし、そのものの定義というか、どうしてその風習が始まったのか、文化とか伝統の根源は何なのかというものを理解していなければ、またそれを伝えていないといけないと思っています。


僕が常々意識しているのは、『言葉の定義』で、とくにカタガナ語は、話す側がしっかりと理解して定義していないと、めちゃくちゃな伝わり方をします。


もう少し話をずらしますが、例えばテレビを購入する時、インターネット上のランキングなどで判断することが多いと思います。

でも、たくさんある電機メーカーの中で、テレビをそのメーカーの基としたのはどこなのか? とか、メーカーの根幹がテレビであって、その技術開発に力を注いでいるメーカーは? とか、という視点で選ぶことも大切だと、、、まぁ堅苦しいですね。


つまり、文化や伝統なんていうのは、そもそも、時代が変わり、人が変われば変わってしまうもので、そういう移り気なものに捉われない、確固たるものを見極め、自分のものにすることこそが本物と言えるのだと思います。


サッカーの世界でも、クラブの身売りなんて言うのがありますし、オーナーの気分次第で監督が変われば、サッカーそのものが変わってしまいますが、それでも、そのクラブを愛するサポーターが多いことは、それが本物だからです。

地域に根差し、親、祖父の代からの根っからのサポーターというのが多いことは、文化や伝統ではなく、本物を意識させられます。

はたして、日本のサポーターの中には、まだまだといった感じだと思います。

スタンドに行ったら面白かったっていうのがありますが、それはそれで別に悪いことではありませんが、なんかAKB的な、すごくバブリッシュな感じがしてなりません。


だからこそ、それぞれが本物であったり、本質的なものをしっかりととらえて行動することは大切だだと思います。


皆が盛り上がっているから、その流れに乗らないといけないって考えている人、本当に多いと思います。

好きな選手がいるから、今のところはそのチームが好きだけど、いなくなったらどうなるか分からないとか、多いです。


自分というものを持っているかどうか、ということでもあると思うのですが、なかなかここは日本人なんですね。

当然、僕も流されてしまうこと、、、あります。


さて、話を本題に戻しますと、「握手をする」という行為そのもののに、好しとする風習があることに疑問を感じています。

サッカーの試合前のセレモニーで、整列して握手を22人の選手+4人の審判団が行いますが、これは、「平等にフェアで戦おう」という意味合いが込められていると思います。

これが、Jや日本の他のリーグでは、試合後もするのですが、日本らしいと言えば日本らしいと思いますが、僕はあまり好きではありません。

しかも、各チームのベンチまで行って挨拶をするって、どうなんだろうって思います。


握手は「相手の目を見て」が基本です。

握った手を振ったり、握手をしながらお辞儀をしたりするのは作法ではありません。

片手を添えるのも、自分を下の人間だと言っているようなもので、そもそも「平等」というものからは外れます。

国によってはその作法が決まっているのですが、日本にはそもそも握手という文化、作法がありませんから、もう少し基本を理解した方がいいと思います。

ただ、文化は時代によって変わるもので、どこの国でも今はかなりアバウトになってきているはずです。


それでも、相手の目を見れなくなる、本当に心のこもった挨拶が出来なくなるような、試合後の形だけのセレモニーは、僕は反対です。


選手同士、指導者同士、指導者と選手が、健闘を讃えあっての心のこもった握手をそれぞれがやればいいと思っています。


さらに、もうひとつ、選手から指導者に握手を求めにくること、これはどうなんでしょうか?


ここでいう選手とは、主に小中学生ですが、なんか気にくわないんです。


ただ、有名選手や有名な指導者に握手を求める気持ちは分かります。

一種のスキンシップですね。。。

憧れの対象に「触ったー」っていうあれは、高揚感というか「握手してください」という謙虚な気持ちが込められています。

僕も、立場関係なく、求めるでしょう。


しかし、握手には「平等だよ」というメッセージがあります。

平等であっても立場は違うことを理解しなければいけません。

選手から指導者に、率先して「平等だよ」ってメッセージ、ちょっと考えれば、おかしいと思いませんか?


僕が指導しているチームでは、指導者に対して選手から握手を求めることはしません。

僕から握手を求めることはあります・・・頑張ってこいよ!、という状況が生まれた時には特に、、。


僕も人としては、どんな時も人としては平等に選手には接していますが、立場が違うこと、これも事実です。

その立場を、暴力や暴言などで変な方向に利用することが問題にはなっていますが、ただ、やはり、指導者と選手はサッカー人としては平等な扱いになりますが、組織としては対等ではありません。

会社の社長に、社員が握手を求めるって、普通に考えても変ですよね?
外資系の会社なら、左遷か減給か、もしかしたらクビも覚悟した方がいいかもしれません。


でも、単なる儀式として「握手」を理解している選手が多くなってきました。

たぶん、それをしているチームの指導者は、そもそも「握手」というものがどういうものなのかを知らないのでしょう。


僕は、年齢が上の人や、立場が上の人には握手を求めません。

当然、握手を求められたら、すかさず手を出しますが、僕から「平等」メッセージは出しません。


逆に、年下や立場の下の人から握手を求めれられても、一応は答えます。

サッカーのセレモニーとしてあるものに関して疑問を抱いていても、受け入れて、一応は答えます。


でも、選手が意味も分からず、その行為自体に酔っているというか、その選手のチームのルール(儀式)になってしまっているようなものに対しては、残念ながら答えないようにしています。

そして、「握手」というものがどういうものかを調べてもらいます。


僕自身、僕のことを面倒な大人だなとは思いますし、そんなことを教える義務はありませんが、また、なぜ選手たちがそうしてしまうのかも理解は出来ますが、僕の性格上、これだけは受け入れられないのです。


さらに拍車をかけるのは、選手間での握手がないことです。

これが不思議です。

指導者をみつけたら、一目散で駆けつけて握手を求めてきますが、選手間では行われない、、、不思議です。


今日の練習、今日の試合を頑張ろう、一緒にやりきろうというメッセージを発しないんです。


と書いていて、僕の指導しているチームの選手たちもしませんね、、。

あ、スタッフ間もしてません、、。

意味合いを深めればするべきですね。


で、不思議になるというよりは、「握手」をやらされている、「握手」を理解していない大人や子どもたちが、そんなことを出来るはずがありませんが、、。


しつけという部分になるのかもしれませんが、今の選手たちは「やらされている」行為が非常に多くあります。

例えば、今回は「握手」でしたが、「挨拶」や「ゴミ拾い」など、しつけとして必要なことではありますが、それが今必要なことなのかどうか、今やるべきことなのか、正しいもの、基本はどうなのか、を教える必要があると思います。


握手や挨拶を強要された選手たちが、5年後10年後に挨拶の出来る大人になっているでしょうか?


実際に、挨拶をやらされているチームの指導者の態度や、そこの保護者の様子をみると、たいしてどうってことありません。

そのチームの試合中の行為も酷いものがほとんどです。


ある子どもが横断歩道を渡ったあと、上り下りに頭を下げている行為をみました。

必要ですか?

形だけになっていないですか?

5年後10年後もやりますか? やらせますか?

その子の親御さんは、子どもをほおっておいてどんどん先に行ってしまいました。。。


子どもだからやらせるのですか?


「握手」や「挨拶」は大切なことです。

でも、もっと大切なこと、教えなければいけないことはたくさんあります。


よく言われますが、指導者や保護者の姿勢をみて選手は育ちます。

言われたことはほとんど右から左です。

指導者や保護者がみせればいいんです。


サッカーだけでなく、人間として育成するというのは、どこのチームでも、誰でも言うようなステレオタイプになっています。

僕もそう思っています。

空っぽなものにだけはならないように注意していますが、ぶっちゃけ、実際はかなり難しくて、言えたほど出来ていません。


でも、見極めるというか、今本当に必要なことを指導する、それが5年後10年後にも生き続けるもの、それを指導することが大切だと思っています。


文化、伝統は、時代時代、関わる人々によって変わります。

しかし、それでも変わらない本物であったり、基本、土台、礎、これを根付かせること、これは本当に大きな挑戦だと思います。

責任感

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サッカーをプレーすることにおいて、「楽しむ」ことと「チームワーク」は、生涯スポーツとしてはもちろんですが、『勝利を目指す』、『技術の向上』においても、最も重要だと考えています。

当然、人生にも当てはまり、「人生を楽しむこと」は現代社会にとって最重要課題だと考えていますし、「地域社会や所属する組織の中での役割」において価値を見出すことも重要です。

そこには、『責任を果たす』という、これまた大きなタスクが生じます。


適当に、また自分勝手に楽しんでいることは、人の迷惑にはなりませんが達成感は得られないでしょうし、チーム(地域、組織)の中では存在感を発揮できません。


「チームワーク」とは、それぞれがそれぞれの責任を果たし、さらに互いを助け合うことができることです。

なので、、、仲が良いとか、笑顔が絶えないとか、っていうので「いいチームだね」と言われることとは全く違います。



さて、昨日、久しぶりにTopの練習試合がありました。


正直、これはまずいと思いました。


大敗したことではなく、明らかにチームが真っ白で空っぽだったらからです。

まさか、大雪の影響ではないでしょう。。。


試合感が鈍っていたことも確かにあります。

そもそも、俯瞰してプレーする選手が少ないので、試合の『大局(観)』なんて全くありませんでした。


救いどころは、最後まで試合を捨てなかったことで、これはこれでとても大切なことなので、この点に関しては選手たちを誇りに感じました。


ただ、「責任感」が全くないプレーの数々には、目を覆いたくなる、顔を背けたくなる、、、もっというと、ベンチを蹴っ飛ばして怒鳴り散らしたくなりました。

まぁ、監督が冷静に試合を観ていたので、そこは踏みとどまりましたが、、。


よく、「戦っている」とか、「球際の強さ」といいますが、ファールまがいのプレーを許し、それを戦っているとする指導者もいますし、そういうチームは結構あります。

世界的には、今季のアトレティコ・マドリーなんかはこの部類に入りますし、モウリーニョのレアルは完全にこの部類でした。


僕は、そういういことを「戦っている」と評価したことはありません。

「球際の強さ」も、手を出したり、足裏を見せたり、後方から寄せてってボールと足を同時に刈るようなスライディングをすることではないと思っています。


5分5分のボールに寄せなかったり、自分の後方にいる相手選手にパスが通りそうなのに、また自分の真横をボールが通過しているのに、身体を投げ出してカットしなかったり、明らかに縦に抜いてくる相手に対してスライディングで対応できなかったり、選手1人の努力を惜しんでしまったために、結果としてチームの失点に結びついてしまうプレー、、、僕は、こういうのを「戦っていない」とか「球際が弱い」となるのと考えています。


1試合目、相手の「戦う」姿勢に面食らったチームは、「戦う」ことを忘れてしまったかのように無責任なプレーを繰り返し、またアンテのスタイルに固執し、それぞれのポジションでどうしたらいいのかが分からず、11人全員の意思がばらばらな状態で試合を終えてしまいました。

試合終了間際の唯一のスライディングタックルがなければ、この試合は何も得られないままに終わってしまったと思うほど、個人個人の「責任感」の無いプレーには驚きました。


2試合目、結果は大敗でしたが、1試合目で失った自信を取り戻すため、そして無駄な慢心を払しょくするために戦い、最後まで試合を捨てなかったことだけは評価できました。

しかも、選手たちは「エンジョイ」できたと、、。


「チームワーク」とは、個人個人が責任を果たすことによって得られるもので、表面で仲良く振る舞う必要はありません。

そして、本当の意味でサッカーを「エンジョイ」するためには、本当の意味での「責任」を果たさなければなりません。


この日の内容でそれに気がついてくれていれば、これからの試合では、負けそうな試合でも勝つことが出来るし、ロスタイムでの失点も無くなりると思います。


やはり、同じことが人生でも言えるでしょう。

大きな流れに巻き込まれて忘れてしまいそうになる、基本中の基本だと再認識しました。


松木さん的解説

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サッカーの解説で<松木安太郎>については、多方面でいろいろご意見があるかと思いますが、僕は、あれほど痛快な解説者はいないと思っています。


松木さんの解説で、一番言われるのが「うるさい」でしょう。


でも、本当にうるさいですかね?


一般的な解説者と視点というか論点が違うだけで、そもそも、分かっているような感じで話している方がよほど「うるさい」と思います。


実況でも、選手の名前を間違えたり、最近特に気になるのが、実況がプレーについて主観を述べることです。

『おいおい、あなたは何様ですか?』と言いたくなるような実況がいます。


そうじゃないかもしれないけど、僕に言わせれば、実況は実況だけしていて欲しいです。


ただ、解説は解説だけしていても駄目だと思います。

っていうか、サッカーほど分かりやすい競技で解説って必要ですかね?


以前は、オフサイドが分からないとよく言われましたが、最近はどういうのがオフサイドか、映像で何度かリプレイされるので分かりやすくなっています。


それでも、オフサイドを取り上げる人は、単にサッカーを理解しようとしないだと思います。


ラグビーのオフサイドよりよっぽど分かりやすいですし、反則もサッカーというスポーツが壊れない程度に見た目にも分かりやすいし、ゴールは1点なので、こういうのが何点で、こういうのが何点、とならないから本当に分かりやすい競技だと思います。

ただ、小さいころから親しんだ競技でないというだけで、ゴールの奪い合いという側面で見れば、本当に分かりやすい、、。


そこに、解説が必要かどうかです。


今の解説の多くは、新聞記事について本当かどうか、戦術論についての講釈、監督が何を考えているかどうか、今のプレーを選択した選手の"気持ちになって"伝えているだけで、実況も含め、他の競技のようにルールを説明することはほとんどありません。


で、そこなんです。

戦術論や監督・選手の心の中を読むのって、解説にしてもらわなくていいと思います。
なるほどな、と思うことも確かにありますが、度を超すと、なんであなたがそんなことが分かるの? 言えるの? となってきて、本当に最近はレベルの高い解説者とそうじゃない解説者が鮮明になってきました。


ちなみに、僕も解説をしたことがありますが、レベルの低い解説者でした。
もう一度やってみたいですが・・・。


しかし、松木さんは凄い。


日本代表の解説が多いのですが、自国に対しての有り余る愛情表現が、とても楽しいです。

ある意味サポーター的な感覚になるのでしょうか。

僕はそういう視点で試合を観ないので、どちらかというとすごく新鮮で、いつも「この人は勝手だなぁー」と思いながら、逆に、「分かったようなことを言うなよ」と思うことが全くない。


セルジオ越後さんが、協会や組織の制度や、育成の問題点について怒ってばかりの持論を展開するのもなかなかおもしろくて、松木さんとのコンビはベストでした。


テレ朝の中継映像もかなりレベルが高くて、そういうった中に松木さんの解説が心地いいというか、サッカーをサッカーとして楽しめる解説は感心しています。


他の局が悪いとは言いませんが、ぶっちゃけ、あり得ないカメラワークや、選手に代名詞的なフレーズを付けてテロップをわざわざ出してきたりする中継には本当に怒りを覚えます。

それをいいと思っている人たちもいるので、あくまでも個人的な意見ですが、スポーツはスポーツを通してでしか感動を得たり、興味を持ったりは出来ないと思っています。


そういうものを求めている時代だってことは分かりますが、スポーツ選手が怪我からの復帰や、闘病、家族の問題などが背景にあることは、ある意味、誰の人生にもあって、誰も順風満帆に過ごしてきた人はいません。

そうやって、テレビや雑誌で祭り上げることが、もの凄く気分が悪くなるし、実況や解説がそれぞれの感情を述べることがとても苦痛に感じます。


だから、松木さんのように、観たままをそのまま伝える。

松木さんの感情を述べるのではなく、感想を伝える、あの技術は天才的としか思えません。


日本代表が不調の時は喝を入れて、調子がいいと喜びを持って伝える。

相手チームや審判に対しても、「なんだよー」と言ってしまう、あの解説には本当にすっきりします。


そんな解説が、ソチでもありました。

松岡修三氏は少ししつこいので、やはりテニスでも解説をやらせてもらえないようですが、ノルディック複合の荻原兄弟は良かった。

何のフィルターもかかっていないってことがとても重要なんだと思います。


含みがあるような中継や感動番組が多すぎて、そういう付加価値的なもので客を釣ることが多すぎると思います。


一人一人が自分たちの目で、観たものそのままが全てであって、そこに実況や解説、製作者側の意図が反映するようなつくりこみは、その時点で嘘なんです。


松木さんは、そのままです。

観たままをそのまま伝える。

その裏にあろう何たるかなんてどうでもいい。


真実を観るということが、これからの社会とても重要です。

景気や雇用が本当に回復しているのか、日本代表は本当に強くなっているのか、オリンピック選手は本当に力があるのか、全て結果でしか分かりませんが、それぞれにフィルターのかかった情報が入ってきて、それに踊らされないように、真実を冷静に見極める努力をしなくてはいけません。


観たものをそのまま評価するには、解説は必要ありません。
実況だっていらないかもしれません。


ただ、観たままをそのまま伝え、こちらに考えさせてくれる、そんな松木さんのような解説を聞いてみて、改めて、踊らされないこと、真実を知る努力をし、やはり、自分自身の感性を信用することが最も大切にしたいと思いました。

エンジョイ!

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朝起きて、高梨沙羅の結果を聞いた時、「楽しめなかったんだろうなぁ」と思い、他人ごとなんだけど無念さを感じました。

逆に、平野歩夢や平岡卓のメダル獲得には「楽しめたんだ」と、スカッとしました。


スポーツを、、、五輪を、、、、勝負を、、、自分がトライしていることを『楽しむ』・・・これを言うと、どこかの国の過去の天皇の玄孫がしゃしゃってきそうですが・・・これ、スポーツ選手にとっては、本当に大切なことで、しかし、とても難しいことです。


勘違されやすいんですが、へらへら笑っていると言われても、本人はそう思ってない場合があるし、表現ベタな日本人の「頑張りましたが力及ばずでした」的な精一杯の表現が笑顔だってことも忘れてはいけません。


人それぞれの表現方法に他人がとやかく言うことがそもそも問題なんです。


・・・ちなみに、メダルを噛む行為を規制したのは賛同します。


さて、玄孫は置いておいて、、。



中学生を指導していて、本当に難しいと思うのは、この『楽しむ』ことを伝えられないときです。

こんなことをやってみよう、あんなプレーをしてみよう、個々のプレー一つとってみても、ユニットやチームでトライしようとしたことでも、上手くいこうが、失敗しようが、イライラしても、ケンカになっても、それが皆が好きであろう、サッカーに対して真剣に取り組んでいれば、自然と『楽しい』って感じられるもんだと思っています。


ただ、それがうまく伝わらない、、、伝えられないと言った方が、やはり正しいですね。。。


高梨沙羅や日本スケート陣じゃないけど、なんか背負い込んでいるというか、選手たちにとっての競技は、「自分が輝くための手段」であって、もちろん「メダルを取る目的」はあるにせよ、、、それは自分を表現した結果としてでしか得られない目的なのに、なぜか人のためにやってしまう。

「感謝」とかあるけど、それは結果を出した者が、その気持ちとして表わすもので、特に高梨沙羅は、最初からそれを背負い込んでいた気がしました。


中学生で言うと、監督である僕に「褒められる」ためなのか、「怒られないため」なのか、「相手にして欲しい」ためなのか、何だかわからないけど、「楽しめてない」と感じることが多いです。


そん中、ボトムアップということが盛んに言われていますが、そもそも、そんなのは理論でも何でもなくて、『楽しむ』ためには当然のことだと思っています。


<自分で考えて、計画や判断をして、実行する。>


当たり前です。


中学生なんだからではなく、小学生だって出来るはずだし、僕らの時代はそれをしなければやっていけない選手は多かったと思います。


よく「自分たちのサッカーをプレーしよう」と言いますが、僕は、この言い回しがすごく難しいと思っていて、捉え方によると、「自分たちのサッカー=ポゼッションサッカーとか堅守速攻で戦おう」、ってなってしまいます。

実はそうではなく、「自分が好きなサッカーを仲間と一緒に楽しもう」なんじゃないかなと。。。


中学生であれば、保護者がサポートしてくれて、指導者が環境を与えて、仲間と助け合う。

だから一人でやっているわけではないんですが、個人競技だろうがチーム競技だろうが、そもそも、保護者や指導者や仲間が楽しむためにやっているわけではなく、自分自身の喜びのためにやっているわけです。

で、それを見守ることが、他人の喜びになるんだと思います。


僕は指導者としてですが、保護者は親としての喜び、また、ファンや観客や報道者は応援している者としての喜びになります。


自分で考えるから『楽しみ』方が分かるし、計画するから真剣になるし、実行する『楽しみ』がわいてきます。



今回、高梨沙羅がメダルを取れなかったことは、そんなおおごとではありません。

それ以上に、彼女がどうして『楽しめなかった』のかを考えなくてはいけません。


他人は「よく頑張った」と言いますが、そもそも『楽しめなかった』彼女にその言葉は全く慰めにはなりません。

五輪ほど注目されないジャンプのワールドカップで、あれだけ勝っていたのはなぜか?


スノボハーフパイプのメダリスト2人の内、平野歩夢は程よく注目されていましたが、さすがに高梨沙羅や日本スケート陣ほどの注目はされていなかったし、好きな音楽を聴きながらプレイできる競技だから、周りの声や雰囲気はシャットアウトできたってのも大きかったと思います。


プレッシャープレッシャーと言いますが、プレッシャーなんて「自分が好きなことを楽しむ」と思っていればそんなもの感じません。

好きだったことが上手くいって、評価されて、、、そしたら、またリセットして、また好きなことを続ければなんの問題もない。

評価=結果=過去のもの、ですから、過去のものにしがみつく、過去のものと今を比べるからプレッシャーになるんだと思います。


随分話がそれてしまいました。。。


スポーツにおいて、選手が『楽しむ』ことを否定してはいけません。


僕たち周りの他人は、選手から『楽しませる』ことを奪ってはいけません。


もちろん、結果は大切ですし、勝負である以上勝つことが重要です。
しかし、それが全てではありません。


人生が毎日プレッシャーだらけだったらどうでしょう。

今の日本社会の問題でもありますが、毎日毎日追われた感じで生きているって苦しいです。

でも、そこに何か『楽しみ』をみつけることが僕らにはできます。


スポーツ選手の『楽しみ』はそのスポーツです。


選手自身が、そのスポーツを『楽しむ』工夫をして、私たち他人がサポートする。


僕にとって、高梨沙羅の結果は、選手から、『楽しませる』ことを奪ってしまったらこんな結果になっちゃうんだよ、という戒めになりましたし、改めて、『楽しむ』ことを伝えていかなければいけないと思いました。

ソチ

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実は、冬季競技にはそれほど興味がないのですが、やっぱり、情報としてはそれなりに入ってくるので、少しだけ気になったことを...。


まず、開会式でトーマス・バッハIOC会長の「界の政治指導者にこう申し上げます。国民のアスリートを支援してくださっていることに感謝します。かれらは国の最高の選手たちです。敬意、寛容、卓越、平和という選手たちのオリンピックメッセージを尊重してください。意見の違いがある場合には、選手の後ろに隠れるのではなく、平和な直接的な政治対話によって解決する勇気を持ってください。」というコメントには、共感しました。


どうやら、異例のコメントだったらしいのですが、スポーツが政治の道具になってはならないという、根本の考えを述べただけでも、非常にインパクトはありました。


サッカーの世界では、1992年のヨーロッパ選手権で、ユーゴスラビアが、内戦によりその大会への出場資格をはく奪され、代わって出場したデンマークが優勝したことは、大きな事件でした。

ユーゴという国が崩壊したのですが、それは、政治家や民族意識丸出しの人々の勝手すぎる戦争によってのもので、サッカー選手には・・・全く出ないにしろ・・・ほぼ関係のないことだったはずです。

それを、「国際試合禁止」とかいう理由で、参加できなくなってしまったユーゴの選手たち、、、僕はいまだになんでだろうと思っています。

これは明らかに、政治の問題をスポーツに置き換えた、問題の多い制裁で、実際、その後、内戦であろうが戦争であろうが、そのことがスポーツに関係することはなくなってきました。

そもそも、このことでスポーツが出来ないなら、アメリカなんて制裁だらけです。
あれだけ他国に戦争を仕掛けてるんですから、、。


話がそれましたが、国を代表する政治家が、選手の背後に隠れるというダサダサな行動に出たことは、まったくもって恥で、、、そういった方々、確か支持率低いですよね?


この辺で・・・。


さて、上村愛子です。

残念ではありましたが、これは、この競技をやったことがないと分からない問題だと思います。

日本人としては、「なんでだよー」と当然そうなりました。

でも、サッカーをプレーしたり、サッカーに合わせた身体を作ったことがない人が、何をどれだけ言っても、「言うのは簡単」となります。
そのスポーツをやったことのある人にしか分からないことがあるように、観ているだけでは全く分からないことって、たくさんあると思います。

ましてやオリンピック選手ほど突きつめていなければ分からないものがあって、もっというと、突きつめてトレーニングして準備してきても、結果として「なんでだろう」って思うことがあるように、俯瞰するというか、客観的に自分と他人を比べたり、他チームと比べられるのは、負けた時です。

それが、成長につながって、上村愛子はここまでやってこれたんだと思います。

まぁ僕がこんなことを偉そうに言うのも、とても僭越というか、恐縮なんですが・・・。


さてさて、そのモーグルの採点ですが、つまるところ、上村愛子の動きが、今の主流ではなかったそうです。


エッジを使ったスキーの技術は上村愛子が断トツ!
しかし、上体がブレているかどうかという点で結果が分かれてしまったようです。

難しいですね。


僕は、モーグルはそもそもスキーですから、スキーの技術力が高い方がいいはずなんですが、しかし、得点を争う競技ですから、結局のところ、きれいかどうかがポイントになってしまったんだと解釈しました。


結局、本質というか、原理原則というのか、『目的』は何か?『目指すべきもの』は何か?なんです。


サッカーでいえば、ゴールそのものがゴールです。
得点を奪うこと、、、それが、ゴラッソだろうが、泥臭かろうが、1点は1点。
ポゼッションサッカーだろうが、リアクションだろうが、攻撃的だろうが、亀のように守って守ってセットプレーからの得点だろうが、1点は1点。


上村愛子が「すがすがしい」と言った本当の心理は分かりません。

ただ、自分が突きつめてきたものが、決勝という舞台で、あと一歩のところまでいっていた。
上体をブレないようにしようと思えば、出来たかもしれないけど、スピードが落ちたり、スキーの技術が落ちたり、エアがより高く跳べなかったり、、、そうではなく、自分がやってきたことを出し切った結果、モーグルという競技の本質の部分で、上村愛子が捉えたものが4位だったのではないでしょうか。。。

そこまで切り替えるだけの余裕がなかったのか、スキーヤーとしてのプライドだったのか、何においても、その結果として本人が満足しているのなら、国費がどうとかではなく、十分称賛に値する「笑顔」だったと思います。


話はそれますが、国費がどうとかというのも、そもそもスポーツ選手が満足に競技に集中させてやれないにもかかわらず、こういう時ばかり「国費、国費」ってのはどうなんでしょうかね。。。


各国の首相がオリンピックの開会式を欠席しました。
オリンピックとは、「いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神を持って相互に理解し合う」ことであり、政治の道具に使ってはいけないのです。


目的は、スポーツを通してリスペクト→お互いを理解し合うことだと思います。


その機会を自ら失った方々に、一国を代表する資格ってあるんでしょうか?


手段が目的にならないように、スポーツ選手は日々戦っています。

上村愛子は、メダルを取るための手段として、スキーヤーとしての技術で挑みました。
結果はどうあれ、この潔さがあの笑顔になったと思います。


上村愛子にとってのモーグルという競技の目的が、そこにあったのなら、3位だろうが、4位だろうが関係ありません。
そんなのは、単なる結果(過去のもの)ですから、、。



結果には悔いがあるけど、自分と向き合った時間には悔いがなかったと、そういう思いをもってああいうコメントの言える選手を育てたいですね。

背番号

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『10番』を希望した本田には、なんていうんでしょうか"かわいらしさ"的なものを感じました。


プロになる前から、ずーっと『10番』が好きだったようで、ポジション的にも違和感のないその背番号に、世界的ビッグクラブで背負うって、これは結構すごいことだと。。。

日本代表でも、本田の『10番』問題が話題になった時期がありましたが、これは、ちょっとした事情があることを知ったので、今は納得しています。。。


しかし、最近、その背番号をあまり気にしないというか、こだわらない選手が増えてきました。


「何番がいい?」って聞いても、「何番でもいいっす」って返ってきて、なんか張り合いがありません。

どっちかっていうと、私の方から「この番号を託すから、、、」といったふうで、本当はもっとガツガツときてほしいんですが、、。


アンテでいえば、西澤の24、髙橋の19が完全に希望です。


世界では、付けたかった背番号を既に付けている場合は、あえて奪い取ることはせず、大きな番号を付けたり、足し算したら「10」みたいな工夫をしたり、別なこだわりを表現することがあります。

中には、奪い取った選手もいますが、、。

また、契約時に、クラブ側が背番号を条件に入れることもあって、依然として、選手にとっての背番号というのは重要なものだと思います。


先ほどの話でも「託すから」と与えられた番号を、自分の代名詞に変えていくという想いをもってくれる選手もいますし、サッカーではありませんが、ヤンキースに入団した、田中将大投手がいくつかある背番号の中から『19番』を選んだっていうのもあって、一概に、背番号にこだわりすぎるのがいいとは思っていません。


ただ、メディアの報道というのは本当にひどいもので、時期を同じくして移籍が成立した本田と田中将大投手の<背番号物語>を比較していたんですが、『10番』を希望した本田を悪、『19番』を選んだ田中将大投手が善、な記事には、バカバカしいとしか思えませんでした。


選手にとっての背番号は、どんな理由で付けるにせよ、結果的に代名詞にもなるとても重要なものです。


「あの17番の選手さぁ」とか「このチームの9番には気をつけろよ」とか、チーム間でも、サポーター間でも飛び交うのが、まず背番号です。


背番号以外では、目立つという理由で、中田英寿や本田が髪の毛を金髪に染めたというのもありますが、、、それ以上に、目に留まるのが背番号です。


一新聞記者が、ああでもないこうでもないというレベルの話ではありません。


私にも、こだわりのある背番号があって、それを託すときはそれ相当の選手にと思っています。

それが上手くいかないときもありますが、、、背番号を付けて試合に出るスポーツであれば、その背番号はどの立場であっても大切なものになります。


久しぶりに、スポーツ新聞の小ささというか、記者の不勉強さというか、、、なんか、アホじゃないの?と思ったので、怒りを書いちゃいました。


落ちがなくてすいません。。。

堅守速攻

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全国高校サッカー選手権大会、インカレ、そして、天皇杯、、。

今年、その大会のすべてに共通して飛び交っていたのが、「堅守速攻」という言葉でした。

ヨコモジにすると、リアクション...ひらたく言うと、カウンターサッカーということです。


つまり、負けないサッカー、、、点を取られないことを前提とした現実的なプレーを選択するサッカーです。


「堅守速攻」は、高校サッカー選手権やインカレなどで勝ち上がるための套手段であり、天皇杯などで拮抗した者同士が戦って、タイトルを勝ち取りたいと思えば、正直、ベストな戦術になります。


一発勝負のこのような主要な大会は、日本のスポーツ文化の柱であり、その多くの歴史を支えてきました。

ただ、その先にある、代表の強化や、日本のスポーツ文化の発展には不向きであり、もっと掘り下げると、体罰問題の温床という意味からも、サッカーはいち早く、というか世界の当然の流れに近づく形で、徐々にリーグ戦文化へと移行しました・・・移行中です・・・この部分、世界の主要国からは何十年も遅れています・・・。


なんかこう書くと、「堅守速攻」が悪いもののように感じられますが、決してそうは思っていません。

むしろ、日本代表の進むべき道だとさえ思っています。

ほとんどが日本代表より強国にもかかわらず、どの対戦相手にもボールを保持して主導権を握るサッカーを展開するって、結構大変だし、そんなのスペイン代表くらいしかできないです。


アジアの中では、主導権を握ったサッカーを展開できると思いますし、 南米や欧州のいくつかの国に対しても可能だと思います。


しかし、昨年のコンフェデやウルグアイ代表戦は衝撃でした。

「攻めさせておいて」ボールを奪ったら一気にゴールまで。。。


圧巻でした。


日本代表が最後に「堅守速攻」で戦った試合で記憶にあるのは、南アフリカW杯での、パラグアイ代表戦です。

しかし、日本代表は無得点無失点という結果、PKで敗退してしまいました。


そもそも、この試合に関して言えば、明らかに戦術的なミス、スカウティングの失敗だったと思います。

それまでの戦い方が、リアクションであったのはグループリーグを突破するためで、もちろん、もっと上を狙っていたんでしょうが、パラグアイ代表FWに、すごくスピードがあって、決定力のある選手はいなかったのに、それにもかかわらず、ボールを保持して主導権を握ろうとしなった・・・ここに問題があっただけです。

自分たちの力をしっかりと把握して、相手をリスペクトさえすれば、ちゃんと使い分けられると思います。


代表なんですから。。。


ただ、高校サッカーや大学サッカー、Jリーグくらいのレベルで、「堅守速攻」じゃなきゃ勝ち上がれないっていうのは問題だと思います?

しかも、リーグ戦でもそうやって勝点を積み上げてきたって・・・言っちゃう?それ・・・。


勝つためだけのサッカーってやってて面白いですかね?

観客や選手の家族はそれで満足かもしれませんが、私は満足できませんし、多くの選手が"割り切っている"だけで、満足していないと思います。


現実的なサッカーって、、、じゃあポゼッションサッカーって非現実的なんでしょうか?


まぁバルセロナを好きなのはいいですが、バルセロナのサッカーをやろうとする考えは非現実的だと思いますが、、。


僕は、「勝つためだけのサッカー」を選択するのではなく、「勝負するサッカー」を選択して欲しいし、そう指導をしていきたいと思います。

自分たちが強くなるため、上手くなるため、楽しみを追及するため、、、何でもいいけど、サッカーの醍醐味ってやはり攻撃であり、ボールをどうやってゴールに運ぶかだと思います。

もちろん、1v1でボールを奪うのが好き、空中戦でヘディングで勝つのが好き、っていう選手もいますが、その選手たちだって、ゴールを目指して戦っているわけです。

守れば守るほど、そういう気持ちになれなるほど、実は守れないもんなんです。


学生や、まだ先のある高校生なんかが、「堅守速攻」を自分たちのスタイルって言いますが、寂しくなりました。


勝つためだけにサッカーを追及するんじゃなく、勝負をするからサッカーは楽しいんです。

だから、国の代表なのに、日本代表は浮き沈みが激しく、それはそれでみていておもしろいんですが、しかし、それはそれでどうなんでしょうか・・・?


サッカーを愛し、サッカーを指導しているものとして、少なくとも、携わった選手には、「堅守速攻が僕らのスタイル」なんて言わせたくありません。

言葉の問題

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海外に移籍した日本人選手が「言葉の問題」を理由にされ、成功か失敗の原因とされることがあります。

ずーっと違和感がありました。

「言葉の問題」と簡単にくくるけど、そもそも日本語もまともに話せないのに・・・日本語でコミュニケーションを取れないのに・・・言葉を問題にしていいのか、と。

子供のころからサッカーをやっていれば、大抵のサッカー用語はわかりますし、英語だろうとフランス語だろうと、オランダ語だろうと、まぁある程度は理解できるものです。
監督やコーチ、選手たちだって、そこに日本人がいれば、その国の言葉でまくしたてることはしません。

まくしたてるのがいたら、それは、まくしたてられた方にも責任があるし、まくしたてられる原因があるはずで、それがコミュニケーションだと思います。

海外の国の人も、結構親切で、「こいつ言葉が分からないな」と思えば、それなりに分かるように努力してくれますし、それが意外にお互いを近づけたりするものです。
でも、そこで、多くの日本人は、気を遣わせてしまったと思って、さらに腰が引けてしまいます。

しかし、本来、日本人が持ち合わせている「察する」というのは、コミュニケーションの大前提だと思います。
この人が何を言おうとしてるのか、何が言いたいのか、これを言ったら何て返ってくるか、、、それがコミュニケーションだと思います。

ある講習会で、コミュニケーションは国語教育の問題だと論じられたことがあります。
日本人が海外でコミュニケーションが取れないは、国語の授業で朗読しかさせないからだと・・・そこまでは言っておりませんでしたが、過去、英語教育で、文法ばかり教えても海外では全く使い物にならないから、リスニングやヒヤリングを多く取り入れるようになったのを思い出したました・・・。

段階を踏んだ、国語教育がなされていないと、漢字の書き取りや算数は段階を追っているのに、なぜか国語だけは違うと。

日本語を否定しているわけではなく、むしろ日本語は素晴らしいのに、なぜか国語は違うと。

少し、解決しました。

なぜ、海外で日本人の評価が「言葉の問題」に集約されてしまうのか、、。

日本語を使ったコミュニケーションが取れない、、、つまり、気持ちを表現するツールがないから、どんな言葉でも、どんなジェスチャーにも対応できないと理解しました。

サッカーでも、フットボールでも、同じボールゲームであって、ボールをゴールにいれるスポーツであることが変わらない限り、どこに行ってもボール一つでコミュニケーションが取れなければおかしな話なんです。

言葉ではなく、コミュニケーションの問題なんだと思います。

日本人のインタビューを見ていても、うつむき加減で暗ーく話す選手と、上向き加減で軽ーく話す選手とでは、やはりプレーに違いがあります。
インタビュアーが何を聞いているか、言葉ではなく、雰囲気やなんとなくの意味合いで分からない、、、良く言えば真面目すぎるほど真面目、悪く言えば感じられないってことです。

実は私、こう見えても・・・どう見えてるか分かっていませんが・・・人見知りするタイプです。 
自分から積極的にコミュニケーションを取ろうとするタイプではない、と言った方が正しいかもしれません。

話しかければ、、、という受け身な人間です。

ただ、幼いころから、相手が何を言っているかを、何をしたいのか、を分析する、、、感じることが得意なませた"ガキ"でした。

でも、海外に行っても、日本に行く海外の国の人とも、多かれ少なかれ、笑いながらコミュニケーションを取れます。
日本人特有の、分かってないのに分かったふりをすることもありますが、大体分かり合えます(笑)

そこで、もうひとつ大きな問題が、体罰の問題です。

まず、なぜ体罰があるのかを考えなくてはいけません。
コミュニケーションが取れていないからです。

指導者が何を言おうとしているか、選手がどう感じるか、どう捉えたか、これらを分析しないから、結果、手や足が出るんです。。。

正直、女子柔道の問題は、ショックでした。
私の近くにいる、スポーツ選手や部活経験者、チャンピオンスポーツを志したにとってみれば、「バカヤロー」なんて言葉の暴力だとは思っていません。

軽くけられたり、はたかれたりすることはありました。
でも、先生の顔には温かみというか、「テメェこのヤロウ・・・」的な、ちょっと無邪気な感じがありました。

まぁ、園田監督の顔は怖いので、そうは思いませんが、決して陥れようとしてるわけではないし、間違いなく、その人個人を憎んで言っていることは何一つなかったと思います。
あくまでも、その技の掛け方とか、気持ちの持って行き方とか、闘う姿勢とか、教わってこなかったことに対して教えよう、教え込もうとしたことが、今回の結果になったと思います。

こんなのは氷山の一角でしかなく、まさに、指導者の伝え方、選手の捉え方なんです。

もっというと、最近の若い選手には忍耐力や考える力が圧倒的に足りません。
そんな時代の指導者のアプローチが課題になっていることは間違いありません。

考えさせることと、教えることを上手く使い分けないと選手は育ちません。
ボコボコにされるような経験がないので、大阪の高校のようなことは理解が出来ませんが、技術やプレーに対して言っていることが、選手個人への"口撃"になっていると捉えられたら終わりです。

大阪の高校の件はやりすぎな感じもあったと思いますが、チーム全体としてフォローできる問題であったとも思いますし、あの先生がやるべきことはもっとあったと思います。
やった行為は別にして、最悪の事態を避けることは出来たと思います。

それが、正に、コミュニケーションなんだと思います。

指導者と選手の良好なコミュニケーション。

そこに、今は保護者が大きな存在となっているので、三者のコミュニケーション、チーム全体のグループとしてのコミュニケーション、さらにそれらを取り巻く人々とのコミュニケーションが重要です。

ただ、今話題の柔道の問題ですが、園田監督の誠実な姿勢や、真面目な会見のため、逆に情熱的な指導者だということがクローズアップされた気がします。

メディアは、ここぞとばかりに叩いたし、協会も敏感に反応しましたが、当の15人のトップ選手がなぜメディアに出てこないんでしょうか?
同じ柔道の指導者でも、内柴のしたこととはまったく質が異なります。

メディアのやることはいつでも一緒で、高校野球の特待生問題の時もそうでしたが、じゃあ今、特待生ってなくなりましたか?

・・・ずれました。


暴力はいけません。
でも、厳しさがないのはもっといけません。

中学生のころ、ケンカをいっぱいしました。
殴り合いのケンカが権力維持という時代です。

でも、そのケンカによってコミュニケーションが取れていた時代でもあります。

時代は変わりました。
今の指導者は、それを理解しなくてはいけません。

でも、厳しくなくては上手くなりません。

殴って上手くなるならいくらでも殴ります。
昔はそうだったかもしれないけど、今は違います。

でも、厳しくなくては強くなりません。

強すぎる言葉も駄目です。
私は、言葉が強すぎて選手たちの心を傷つけてしまうことがありますが、そんば選手たちをフォローしてくれるスタッフや保護者がいます。

選手たちが笑顔でグランドを後にしたときは本当に嬉しくなります。

笑顔というコミュニケーションが取れれば、世界どこに出ても活躍できると思います。

「言葉」だけの問題ではなく、コミュニケーションであり、笑顔でそこにいるかどうかの問題です。

今日も、厳しくやります。
ただ、コミュニケーションを大切に、世界で通用する人間を育成するために!

道のり

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「監督の腕組み」というコーナーを設けていただき、いつしかサーバーの都合で使えなくなっていて、今季、新しくこのコーナーを復活していただきました。

 

にもかわらず、シーズン中は何かと理由を付けては投稿してきませんでした。

 

・・・が、ついに初投稿せずにはいられなくなりました。

 

アンテを少しでも知っていただいている方なら既にご存じかと思いますが、そうなんです、アンテ史上初の「1部リーグ残留」を決めたのです。

これほどのビッグニュースを私が報告しないわけにはいけません。

 

でも、ここで報告しなくてもwebや選手・スタッフブログでも報告済みだから、、、どうしようかと思っていたら、ロンドンオリンピックで競泳ニッポン男女の大活躍が、、、サッカー以外で夜中に起きてスポーツを見るなんてことはほとんど無いのに、何となく惹かれるものがありました。

 

オリンピックが始まるというのに、メディアの取り上げ方が"なんとなく"おとなしいと感じていて、それはそれで、僕としてはOKなんですが、でも、悔しい思いをして復活をした選手がいたり、順風にみえて実は凄い苦労を重ねた選手がいたり、平成生まれの選手が多くなってきていたり、魅力的な『道のり(課程)』を持っている選手が多い気がして、正直、過去のオリンピックよりも"なんとなく"見てみたいなと思っていました。

 

交通事故でサッカー選手や教員という道から、新しい道を選んだ僕が一番最初に出会ったのが、ライフセービングです。

これは、簡単に言うと、海難事故を防止する活動のことですが、ライフと付いているので、人命救助というもう少し大きな意味もあります。

海に行くと、赤とオレンジの変な帽子にサングラスをしたマッチョな人を見たことがあれば、その人たちがやっている活動のことです。

ビックリする方もいますが、実は、僕、あの方たちの仲間だったんです。

というよりも、今でも仲間ですが、、。

 

ただ、当時は、もう少し痩せていて、マッチョ体型でしたが、、、まぁ、今はね。

 

当時の先輩や同級生には有名人なんかもいて、飯沼誠司なんてのは、僕の結婚式の立ち会いに人までやってくれたやつですが、最近は連絡も取らず、電話番号も分からなくなってしまいましたが、、、まぁそのライフセービングのトレーニングってが凄く辛いんです。

 

僕がサッカーの指導者になってから、今でもフィジカル的なトレーニングのベースにしているのが、この時のトレーニングなんですが、その中で、競泳のトレーニングがあります。

当然、オリンピックに出るほどのトレーニングはしませんが、先輩も後輩も同級生にも元スイマーが多いのは当然で、それはそれは凄い追い込むわけです。

 

本当に苦しいんです。

彼らの常識でしごくので、「僕は空気を吸って生きていたいです」という温情が通用せず、まぁとにかく大変な思い出でした。

 

だからというわけではないのですが、スイマーの素性というのは若干理解できます。

妻もバリバリの元スイマーなので、どういう思考回路なのかも何となく分かります。

 

競泳は個人競技ではあるけど、これは柔道や陸上競技、他の個人競技でもそうだと思いますが、実は、根の根はチーム競技なんです。

 

《あいつが頑張るなら、自分も頑張る。》

《自分が頑張れば、あいつも頑張る。》

 

自然に、必然に、こういう構図が出来上がります。

コンマ何秒という争いをしている中で、そういえばスイマーのトップトップで卑屈な人間はいませんでした。

 

力(技術)の無いものには、指導を惜しまず、力(技術)のあるものから容赦なくそれを盗む、そして遠慮無く、躊躇無く、指導を仰ぐ。

 

そんな彼らだから、「まさか」のではなく、『当然』の銅メダル三連発!

初日の高校生の活躍とエース北島の不振で、さらにチームが一つになったんだと思います。

 

アーチェリーでも、体操でも「自分が踏ん張らなきゃ」、「自分が挽回しなきゃ」という言葉がコメントで聞かれました。

決しておごりではなく、それがチーム競技だからです。

 

久しぶりに感動しました。

作り物のお涙ちょうだい番組には全く感動しませんが、あの舞台に立つための『課程』を考えば、何の言葉も必要ありません。

 

朝方にもかかわらず、アンテのゴール級に大声で興奮してしまいました。

メダルの色とか、いろいろありますが、それ以上の『課程』がみえ、本当の感動を味わえました。

 

サッカーはチームスポーツと言いますが、本当の意味でチームスポーツを理解している選手がどれだけいるか、誰か統計を取って欲しいものです。

今季のアンテはチームになれなくて苦労しました。

 

『チームのために』と感じさせるチームに出来なかったことがそもそもの問題で、僕の力の無さを痛感しました。

それでも、たとえ10点取られても、同じ相手に同じスコアで連敗しても、勝てそうで勝てない、引き分けそうで落とす、そういう試合を続けても、24名の選手たちは、『チームのために』という強い気持ちで最後まで闘ってくれました。

 

チームの身の丈に合った戦術ではなくても、それを築き上げようと努力し、奇跡を信じて戦い抜いた選手たちのここまでの『課程』は、アンテ史上に残る、史上初の快挙に見合った、そして、来季に勝負を懸けるための歴史を築いた『課程』です。

 

あえて『道のり』を知らせ、語る必要はありません。

ただ、何かを成し遂げた時、そこまでの『道のり』は本物で、それは言葉で伝えなくても「感動」を呼びます。

 

そろそろ、新しい『道のり』を歩め、新しい歴史を築け、ということかもしれません。

 

新しい感動を受け、与え続けるため。

 

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