2013年2月アーカイブ

言葉の問題

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海外に移籍した日本人選手が「言葉の問題」を理由にされ、成功か失敗の原因とされることがあります。

ずーっと違和感がありました。

「言葉の問題」と簡単にくくるけど、そもそも日本語もまともに話せないのに・・・日本語でコミュニケーションを取れないのに・・・言葉を問題にしていいのか、と。

子供のころからサッカーをやっていれば、大抵のサッカー用語はわかりますし、英語だろうとフランス語だろうと、オランダ語だろうと、まぁある程度は理解できるものです。
監督やコーチ、選手たちだって、そこに日本人がいれば、その国の言葉でまくしたてることはしません。

まくしたてるのがいたら、それは、まくしたてられた方にも責任があるし、まくしたてられる原因があるはずで、それがコミュニケーションだと思います。

海外の国の人も、結構親切で、「こいつ言葉が分からないな」と思えば、それなりに分かるように努力してくれますし、それが意外にお互いを近づけたりするものです。
でも、そこで、多くの日本人は、気を遣わせてしまったと思って、さらに腰が引けてしまいます。

しかし、本来、日本人が持ち合わせている「察する」というのは、コミュニケーションの大前提だと思います。
この人が何を言おうとしてるのか、何が言いたいのか、これを言ったら何て返ってくるか、、、それがコミュニケーションだと思います。

ある講習会で、コミュニケーションは国語教育の問題だと論じられたことがあります。
日本人が海外でコミュニケーションが取れないは、国語の授業で朗読しかさせないからだと・・・そこまでは言っておりませんでしたが、過去、英語教育で、文法ばかり教えても海外では全く使い物にならないから、リスニングやヒヤリングを多く取り入れるようになったのを思い出したました・・・。

段階を踏んだ、国語教育がなされていないと、漢字の書き取りや算数は段階を追っているのに、なぜか国語だけは違うと。

日本語を否定しているわけではなく、むしろ日本語は素晴らしいのに、なぜか国語は違うと。

少し、解決しました。

なぜ、海外で日本人の評価が「言葉の問題」に集約されてしまうのか、、。

日本語を使ったコミュニケーションが取れない、、、つまり、気持ちを表現するツールがないから、どんな言葉でも、どんなジェスチャーにも対応できないと理解しました。

サッカーでも、フットボールでも、同じボールゲームであって、ボールをゴールにいれるスポーツであることが変わらない限り、どこに行ってもボール一つでコミュニケーションが取れなければおかしな話なんです。

言葉ではなく、コミュニケーションの問題なんだと思います。

日本人のインタビューを見ていても、うつむき加減で暗ーく話す選手と、上向き加減で軽ーく話す選手とでは、やはりプレーに違いがあります。
インタビュアーが何を聞いているか、言葉ではなく、雰囲気やなんとなくの意味合いで分からない、、、良く言えば真面目すぎるほど真面目、悪く言えば感じられないってことです。

実は私、こう見えても・・・どう見えてるか分かっていませんが・・・人見知りするタイプです。 
自分から積極的にコミュニケーションを取ろうとするタイプではない、と言った方が正しいかもしれません。

話しかければ、、、という受け身な人間です。

ただ、幼いころから、相手が何を言っているかを、何をしたいのか、を分析する、、、感じることが得意なませた"ガキ"でした。

でも、海外に行っても、日本に行く海外の国の人とも、多かれ少なかれ、笑いながらコミュニケーションを取れます。
日本人特有の、分かってないのに分かったふりをすることもありますが、大体分かり合えます(笑)

そこで、もうひとつ大きな問題が、体罰の問題です。

まず、なぜ体罰があるのかを考えなくてはいけません。
コミュニケーションが取れていないからです。

指導者が何を言おうとしているか、選手がどう感じるか、どう捉えたか、これらを分析しないから、結果、手や足が出るんです。。。

正直、女子柔道の問題は、ショックでした。
私の近くにいる、スポーツ選手や部活経験者、チャンピオンスポーツを志したにとってみれば、「バカヤロー」なんて言葉の暴力だとは思っていません。

軽くけられたり、はたかれたりすることはありました。
でも、先生の顔には温かみというか、「テメェこのヤロウ・・・」的な、ちょっと無邪気な感じがありました。

まぁ、園田監督の顔は怖いので、そうは思いませんが、決して陥れようとしてるわけではないし、間違いなく、その人個人を憎んで言っていることは何一つなかったと思います。
あくまでも、その技の掛け方とか、気持ちの持って行き方とか、闘う姿勢とか、教わってこなかったことに対して教えよう、教え込もうとしたことが、今回の結果になったと思います。

こんなのは氷山の一角でしかなく、まさに、指導者の伝え方、選手の捉え方なんです。

もっというと、最近の若い選手には忍耐力や考える力が圧倒的に足りません。
そんな時代の指導者のアプローチが課題になっていることは間違いありません。

考えさせることと、教えることを上手く使い分けないと選手は育ちません。
ボコボコにされるような経験がないので、大阪の高校のようなことは理解が出来ませんが、技術やプレーに対して言っていることが、選手個人への"口撃"になっていると捉えられたら終わりです。

大阪の高校の件はやりすぎな感じもあったと思いますが、チーム全体としてフォローできる問題であったとも思いますし、あの先生がやるべきことはもっとあったと思います。
やった行為は別にして、最悪の事態を避けることは出来たと思います。

それが、正に、コミュニケーションなんだと思います。

指導者と選手の良好なコミュニケーション。

そこに、今は保護者が大きな存在となっているので、三者のコミュニケーション、チーム全体のグループとしてのコミュニケーション、さらにそれらを取り巻く人々とのコミュニケーションが重要です。

ただ、今話題の柔道の問題ですが、園田監督の誠実な姿勢や、真面目な会見のため、逆に情熱的な指導者だということがクローズアップされた気がします。

メディアは、ここぞとばかりに叩いたし、協会も敏感に反応しましたが、当の15人のトップ選手がなぜメディアに出てこないんでしょうか?
同じ柔道の指導者でも、内柴のしたこととはまったく質が異なります。

メディアのやることはいつでも一緒で、高校野球の特待生問題の時もそうでしたが、じゃあ今、特待生ってなくなりましたか?

・・・ずれました。


暴力はいけません。
でも、厳しさがないのはもっといけません。

中学生のころ、ケンカをいっぱいしました。
殴り合いのケンカが権力維持という時代です。

でも、そのケンカによってコミュニケーションが取れていた時代でもあります。

時代は変わりました。
今の指導者は、それを理解しなくてはいけません。

でも、厳しくなくては上手くなりません。

殴って上手くなるならいくらでも殴ります。
昔はそうだったかもしれないけど、今は違います。

でも、厳しくなくては強くなりません。

強すぎる言葉も駄目です。
私は、言葉が強すぎて選手たちの心を傷つけてしまうことがありますが、そんば選手たちをフォローしてくれるスタッフや保護者がいます。

選手たちが笑顔でグランドを後にしたときは本当に嬉しくなります。

笑顔というコミュニケーションが取れれば、世界どこに出ても活躍できると思います。

「言葉」だけの問題ではなく、コミュニケーションであり、笑顔でそこにいるかどうかの問題です。

今日も、厳しくやります。
ただ、コミュニケーションを大切に、世界で通用する人間を育成するために!

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