サッカーをプレーすることにおいて、「楽しむ」ことと「チームワーク」は、生涯スポーツとしてはもちろんですが、『勝利を目指す』、『技術の向上』においても、最も重要だと考えています。
当然、人生にも当てはまり、「人生を楽しむこと」は現代社会にとって最重要課題だと考えていますし、「地域社会や所属する組織の中での役割」において価値を見出すことも重要です。
そこには、『責任を果たす』という、これまた大きなタスクが生じます。
適当に、また自分勝手に楽しんでいることは、人の迷惑にはなりませんが達成感は得られないでしょうし、チーム(地域、組織)の中では存在感を発揮できません。
「チームワーク」とは、それぞれがそれぞれの責任を果たし、さらに互いを助け合うことができることです。
なので、、、仲が良いとか、笑顔が絶えないとか、っていうので「いいチームだね」と言われることとは全く違います。
さて、昨日、久しぶりにTopの練習試合がありました。
正直、これはまずいと思いました。
大敗したことではなく、明らかにチームが真っ白で空っぽだったらからです。
まさか、大雪の影響ではないでしょう。。。
試合感が鈍っていたことも確かにあります。
そもそも、俯瞰してプレーする選手が少ないので、試合の『大局(観)』なんて全くありませんでした。
救いどころは、最後まで試合を捨てなかったことで、これはこれでとても大切なことなので、この点に関しては選手たちを誇りに感じました。
ただ、「責任感」が全くないプレーの数々には、目を覆いたくなる、顔を背けたくなる、、、もっというと、ベンチを蹴っ飛ばして怒鳴り散らしたくなりました。
まぁ、監督が冷静に試合を観ていたので、そこは踏みとどまりましたが、、。
よく、「戦っている」とか、「球際の強さ」といいますが、ファールまがいのプレーを許し、それを戦っているとする指導者もいますし、そういうチームは結構あります。
世界的には、今季のアトレティコ・マドリーなんかはこの部類に入りますし、モウリーニョのレアルは完全にこの部類でした。
僕は、そういういことを「戦っている」と評価したことはありません。
「球際の強さ」も、手を出したり、足裏を見せたり、後方から寄せてってボールと足を同時に刈るようなスライディングをすることではないと思っています。
5分5分のボールに寄せなかったり、自分の後方にいる相手選手にパスが通りそうなのに、また自分の真横をボールが通過しているのに、身体を投げ出してカットしなかったり、明らかに縦に抜いてくる相手に対してスライディングで対応できなかったり、選手1人の努力を惜しんでしまったために、結果としてチームの失点に結びついてしまうプレー、、、僕は、こういうのを「戦っていない」とか「球際が弱い」となるのと考えています。
1試合目、相手の「戦う」姿勢に面食らったチームは、「戦う」ことを忘れてしまったかのように無責任なプレーを繰り返し、またアンテのスタイルに固執し、それぞれのポジションでどうしたらいいのかが分からず、11人全員の意思がばらばらな状態で試合を終えてしまいました。
試合終了間際の唯一のスライディングタックルがなければ、この試合は何も得られないままに終わってしまったと思うほど、個人個人の「責任感」の無いプレーには驚きました。
2試合目、結果は大敗でしたが、1試合目で失った自信を取り戻すため、そして無駄な慢心を払しょくするために戦い、最後まで試合を捨てなかったことだけは評価できました。
しかも、選手たちは「エンジョイ」できたと、、。
「チームワーク」とは、個人個人が責任を果たすことによって得られるもので、表面で仲良く振る舞う必要はありません。
そして、本当の意味でサッカーを「エンジョイ」するためには、本当の意味での「責任」を果たさなければなりません。
この日の内容でそれに気がついてくれていれば、これからの試合では、負けそうな試合でも勝つことが出来るし、ロスタイムでの失点も無くなりると思います。
やはり、同じことが人生でも言えるでしょう。
大きな流れに巻き込まれて忘れてしまいそうになる、基本中の基本だと再認識しました。
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