ソチ

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実は、冬季競技にはそれほど興味がないのですが、やっぱり、情報としてはそれなりに入ってくるので、少しだけ気になったことを...。


まず、開会式でトーマス・バッハIOC会長の「界の政治指導者にこう申し上げます。国民のアスリートを支援してくださっていることに感謝します。かれらは国の最高の選手たちです。敬意、寛容、卓越、平和という選手たちのオリンピックメッセージを尊重してください。意見の違いがある場合には、選手の後ろに隠れるのではなく、平和な直接的な政治対話によって解決する勇気を持ってください。」というコメントには、共感しました。


どうやら、異例のコメントだったらしいのですが、スポーツが政治の道具になってはならないという、根本の考えを述べただけでも、非常にインパクトはありました。


サッカーの世界では、1992年のヨーロッパ選手権で、ユーゴスラビアが、内戦によりその大会への出場資格をはく奪され、代わって出場したデンマークが優勝したことは、大きな事件でした。

ユーゴという国が崩壊したのですが、それは、政治家や民族意識丸出しの人々の勝手すぎる戦争によってのもので、サッカー選手には・・・全く出ないにしろ・・・ほぼ関係のないことだったはずです。

それを、「国際試合禁止」とかいう理由で、参加できなくなってしまったユーゴの選手たち、、、僕はいまだになんでだろうと思っています。

これは明らかに、政治の問題をスポーツに置き換えた、問題の多い制裁で、実際、その後、内戦であろうが戦争であろうが、そのことがスポーツに関係することはなくなってきました。

そもそも、このことでスポーツが出来ないなら、アメリカなんて制裁だらけです。
あれだけ他国に戦争を仕掛けてるんですから、、。


話がそれましたが、国を代表する政治家が、選手の背後に隠れるというダサダサな行動に出たことは、まったくもって恥で、、、そういった方々、確か支持率低いですよね?


この辺で・・・。


さて、上村愛子です。

残念ではありましたが、これは、この競技をやったことがないと分からない問題だと思います。

日本人としては、「なんでだよー」と当然そうなりました。

でも、サッカーをプレーしたり、サッカーに合わせた身体を作ったことがない人が、何をどれだけ言っても、「言うのは簡単」となります。
そのスポーツをやったことのある人にしか分からないことがあるように、観ているだけでは全く分からないことって、たくさんあると思います。

ましてやオリンピック選手ほど突きつめていなければ分からないものがあって、もっというと、突きつめてトレーニングして準備してきても、結果として「なんでだろう」って思うことがあるように、俯瞰するというか、客観的に自分と他人を比べたり、他チームと比べられるのは、負けた時です。

それが、成長につながって、上村愛子はここまでやってこれたんだと思います。

まぁ僕がこんなことを偉そうに言うのも、とても僭越というか、恐縮なんですが・・・。


さてさて、そのモーグルの採点ですが、つまるところ、上村愛子の動きが、今の主流ではなかったそうです。


エッジを使ったスキーの技術は上村愛子が断トツ!
しかし、上体がブレているかどうかという点で結果が分かれてしまったようです。

難しいですね。


僕は、モーグルはそもそもスキーですから、スキーの技術力が高い方がいいはずなんですが、しかし、得点を争う競技ですから、結局のところ、きれいかどうかがポイントになってしまったんだと解釈しました。


結局、本質というか、原理原則というのか、『目的』は何か?『目指すべきもの』は何か?なんです。


サッカーでいえば、ゴールそのものがゴールです。
得点を奪うこと、、、それが、ゴラッソだろうが、泥臭かろうが、1点は1点。
ポゼッションサッカーだろうが、リアクションだろうが、攻撃的だろうが、亀のように守って守ってセットプレーからの得点だろうが、1点は1点。


上村愛子が「すがすがしい」と言った本当の心理は分かりません。

ただ、自分が突きつめてきたものが、決勝という舞台で、あと一歩のところまでいっていた。
上体をブレないようにしようと思えば、出来たかもしれないけど、スピードが落ちたり、スキーの技術が落ちたり、エアがより高く跳べなかったり、、、そうではなく、自分がやってきたことを出し切った結果、モーグルという競技の本質の部分で、上村愛子が捉えたものが4位だったのではないでしょうか。。。

そこまで切り替えるだけの余裕がなかったのか、スキーヤーとしてのプライドだったのか、何においても、その結果として本人が満足しているのなら、国費がどうとかではなく、十分称賛に値する「笑顔」だったと思います。


話はそれますが、国費がどうとかというのも、そもそもスポーツ選手が満足に競技に集中させてやれないにもかかわらず、こういう時ばかり「国費、国費」ってのはどうなんでしょうかね。。。


各国の首相がオリンピックの開会式を欠席しました。
オリンピックとは、「いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神を持って相互に理解し合う」ことであり、政治の道具に使ってはいけないのです。


目的は、スポーツを通してリスペクト→お互いを理解し合うことだと思います。


その機会を自ら失った方々に、一国を代表する資格ってあるんでしょうか?


手段が目的にならないように、スポーツ選手は日々戦っています。

上村愛子は、メダルを取るための手段として、スキーヤーとしての技術で挑みました。
結果はどうあれ、この潔さがあの笑顔になったと思います。


上村愛子にとってのモーグルという競技の目的が、そこにあったのなら、3位だろうが、4位だろうが関係ありません。
そんなのは、単なる結果(過去のもの)ですから、、。



結果には悔いがあるけど、自分と向き合った時間には悔いがなかったと、そういう思いをもってああいうコメントの言える選手を育てたいですね。

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このページは、okudamaoが2014年2月10日 10:15に書いたブログ記事です。

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