朝起きて、高梨沙羅の結果を聞いた時、「楽しめなかったんだろうなぁ」と思い、他人ごとなんだけど無念さを感じました。
逆に、平野歩夢や平岡卓のメダル獲得には「楽しめたんだ」と、スカッとしました。
スポーツを、、、五輪を、、、、勝負を、、、自分がトライしていることを『楽しむ』・・・これを言うと、どこかの国の過去の天皇の玄孫がしゃしゃってきそうですが・・・これ、スポーツ選手にとっては、本当に大切なことで、しかし、とても難しいことです。
勘違されやすいんですが、へらへら笑っていると言われても、本人はそう思ってない場合があるし、表現ベタな日本人の「頑張りましたが力及ばずでした」的な精一杯の表現が笑顔だってことも忘れてはいけません。
人それぞれの表現方法に他人がとやかく言うことがそもそも問題なんです。
・・・ちなみに、メダルを噛む行為を規制したのは賛同します。
さて、玄孫は置いておいて、、。
中学生を指導していて、本当に難しいと思うのは、この『楽しむ』ことを伝えられないときです。
こんなことをやってみよう、あんなプレーをしてみよう、個々のプレー一つとってみても、ユニットやチームでトライしようとしたことでも、上手くいこうが、失敗しようが、イライラしても、ケンカになっても、それが皆が好きであろう、サッカーに対して真剣に取り組んでいれば、自然と『楽しい』って感じられるもんだと思っています。
ただ、それがうまく伝わらない、、、伝えられないと言った方が、やはり正しいですね。。。
高梨沙羅や日本スケート陣じゃないけど、なんか背負い込んでいるというか、選手たちにとっての競技は、「自分が輝くための手段」であって、もちろん「メダルを取る目的」はあるにせよ、、、それは自分を表現した結果としてでしか得られない目的なのに、なぜか人のためにやってしまう。
「感謝」とかあるけど、それは結果を出した者が、その気持ちとして表わすもので、特に高梨沙羅は、最初からそれを背負い込んでいた気がしました。
中学生で言うと、監督である僕に「褒められる」ためなのか、「怒られないため」なのか、「相手にして欲しい」ためなのか、何だかわからないけど、「楽しめてない」と感じることが多いです。
そん中、ボトムアップということが盛んに言われていますが、そもそも、そんなのは理論でも何でもなくて、『楽しむ』ためには当然のことだと思っています。
<自分で考えて、計画や判断をして、実行する。>
当たり前です。
中学生なんだからではなく、小学生だって出来るはずだし、僕らの時代はそれをしなければやっていけない選手は多かったと思います。
よく「自分たちのサッカーをプレーしよう」と言いますが、僕は、この言い回しがすごく難しいと思っていて、捉え方によると、「自分たちのサッカー=ポゼッションサッカーとか堅守速攻で戦おう」、ってなってしまいます。
実はそうではなく、「自分が好きなサッカーを仲間と一緒に楽しもう」なんじゃないかなと。。。
中学生であれば、保護者がサポートしてくれて、指導者が環境を与えて、仲間と助け合う。
だから一人でやっているわけではないんですが、個人競技だろうがチーム競技だろうが、そもそも、保護者や指導者や仲間が楽しむためにやっているわけではなく、自分自身の喜びのためにやっているわけです。
で、それを見守ることが、他人の喜びになるんだと思います。
僕は指導者としてですが、保護者は親としての喜び、また、ファンや観客や報道者は応援している者としての喜びになります。
自分で考えるから『楽しみ』方が分かるし、計画するから真剣になるし、実行する『楽しみ』がわいてきます。
今回、高梨沙羅がメダルを取れなかったことは、そんなおおごとではありません。
それ以上に、彼女がどうして『楽しめなかった』のかを考えなくてはいけません。
他人は「よく頑張った」と言いますが、そもそも『楽しめなかった』彼女にその言葉は全く慰めにはなりません。
五輪ほど注目されないジャンプのワールドカップで、あれだけ勝っていたのはなぜか?
スノボハーフパイプのメダリスト2人の内、平野歩夢は程よく注目されていましたが、さすがに高梨沙羅や日本スケート陣ほどの注目はされていなかったし、好きな音楽を聴きながらプレイできる競技だから、周りの声や雰囲気はシャットアウトできたってのも大きかったと思います。
プレッシャープレッシャーと言いますが、プレッシャーなんて「自分が好きなことを楽しむ」と思っていればそんなもの感じません。
好きだったことが上手くいって、評価されて、、、そしたら、またリセットして、また好きなことを続ければなんの問題もない。
評価=結果=過去のもの、ですから、過去のものにしがみつく、過去のものと今を比べるからプレッシャーになるんだと思います。
随分話がそれてしまいました。。。
スポーツにおいて、選手が『楽しむ』ことを否定してはいけません。
僕たち周りの他人は、選手から『楽しませる』ことを奪ってはいけません。
もちろん、結果は大切ですし、勝負である以上勝つことが重要です。
しかし、それが全てではありません。
人生が毎日プレッシャーだらけだったらどうでしょう。
今の日本社会の問題でもありますが、毎日毎日追われた感じで生きているって苦しいです。
でも、そこに何か『楽しみ』をみつけることが僕らにはできます。
スポーツ選手の『楽しみ』はそのスポーツです。
選手自身が、そのスポーツを『楽しむ』工夫をして、私たち他人がサポートする。
僕にとって、高梨沙羅の結果は、選手から、『楽しませる』ことを奪ってしまったらこんな結果になっちゃうんだよ、という戒めになりましたし、改めて、『楽しむ』ことを伝えていかなければいけないと思いました。
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